筑紫哲也さん

筑紫哲也さんを偲ぶ…鳥越俊太郎氏らが追悼メッセージ

11月8日17時0分配信 夕刊フジ

 7日夜、肺がんで亡くなったジャーナリストの筑紫哲也さん(享年73)は、政治や経済、社会分野だけでなく、芸能やスポーツ、海外の首脳にまで幅広い人脈を築いていた。その死を悼む声は各界から寄せられている。

 ともに九州出身で、ライバル社ながら新聞記者、雑誌編集長、テレビキャスターと、常に同じ道を歩み続け、自身も2005年からがん闘病を経験した鳥越俊太郎氏(68)は、「ボクは道を歩いていて100万回くらい筑紫さんに間違えられたことがある。本人に話すと『ボクも鳥越さんに間違えられたことがある』って。『それは1、2回でしょ』と返したら笑ってたなぁ」と懐かしんだ。

 筑紫さんの看板番組だった「NEWS23」(TBS系)の最大のライバル「報道ステーション」(テレビ朝日系)キャスターの古舘伊知郎氏(53)は、7日の番組冒頭で「後に続く者の1人として、大変な任務なんだということを痛切に感じた」とコメント。筑紫さんとともに「NEWS23」を支えたアナウンサーの草野満代さんは、「まさに、『多事争論』そのものの方。私たちにとっては大きな木のような存在」と語った。

 楽天野村克也監督(73)は筑紫さんと同い年で親交があり、共著を出したこともある間柄。10月8日の「NEWS23」出演で会ったのが最後だったといい、「人生の師のように考えを仰ぐこともあった」と話した。

 歌手の和田アキ子(58)は、7日午後11時に東京都練馬区の筑紫さん宅を弔問。室内では泣きながら遺体に向かって「てっちゃん」と呼びかけ、親族には「ロウソクと線香は絶やしちゃいかんよ」とアドバイスしたという。

 筑紫さんが「朝日ジャーナル」の編集長時代、ともに仕事をした評論家の佐高信氏(63)は、「『企業探検』というルポを書いたとき、編集長として企業からのすさまじい圧力をはねのけてくれた。頼りになる兄貴分だった」と筑紫さんの度量に改めて敬意を表した。

 また、韓国の聯合ニュースによると、同国の李明博大統領も7日、権哲賢駐日大使を通じて弔意を伝えたという。李大統領は今年4月、就任後初めて訪日した際にテレビ番組で筑紫さんと対話した。

 ■ちくし・てつや 1935年6月23日、大分県日田市生まれ。早大政経学部卒後の59年、朝日新聞社に入社。政治部、ワシントン特派員、「朝日ジャーナル」編集長などを経て89年、TBS系「NEWS23」のキャスターに就任。「総理大臣の犯罪」など著書も多数あり、雑誌「週刊金曜日」の編集委員もつとめた。2007年5月、がん告白。その後、治療しながらテレビ番組にも時折出演していた。作曲家・滝廉太郎は大伯父で、大分県竹田市にある滝廉太郎記念館の名誉館長だった。夫人と2女1男。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻、房子(ふさこ)さん。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081108-00000016-ykf-ent

学生の頃、誰にどういう経緯で言われたのか憶えていませんが、お前は何も考えていないと言われ、確かにそうだがそう言われたおれは何をどう考えればその考えてるヤツという括りに入れてもらえるんだろうと思いながら手にした雑誌が「朝日ジャーナル」で、その編集長がこの人でした。朝日ジャーナルがさりげなくかばんの中に入っているというそれだけで、おれは何も考えてないわけじゃないぜというふりをしたわけです。周囲に通じたかどうかはわかりません(笑)

そのきっかけが奇妙な、何でだよ?と今では思ってしまうものであったにしても、この人を知ることができ、この人の考えていることに触れたりしたことは自分にはとても大きなことでした。なにしろ、それまでは、高校時代はクラブ活動のことと好きな女の子のことと学校の成績が悪いことくらいしか気にすることがなく、大学に入ればクラブ活動のことと好きな女の子のことと楽に単位をとることと楽でその割には収入のいいアルバイトはないか、くらいしか気にすることがなかったわけですから。

その後、学校で「筑紫哲也田原総一朗を呼んで討論会」みたいなのがあって田原総一朗さんを知り、朝日ジャーナルの記事から立花隆さんを知り・・・
もちろん考え方にはクセもあり(詳しいことを知らないがピースボートを応援するみたいなのが苦手だった)、傾倒したりすることはなかったですが、やっぱりこの筑紫哲也さん、そして先ほども名前を出した田原総一朗さん、この二人には色々教えていただいたように思います。この記事には直接関係ないですが、田原さんは、就職して田舎にいた頃、そこに田原総一朗来る!なんてあると、残業拒否して会場に駆け込んだりしました。
当時からすでに有名人で顔も知られていましたが、その後、二人はテレビ番組の主になり、まさに大きな影響力を持つようになります。どちらもさらにすごい人になりました。
筑紫さんの晩年といいますか、NEWS23という番組はほとんど見ませんでしたが、がんと戦いながらもたまにはテレビに(声だけでも)出るその姿勢は、ジャーナリスト魂を感じさせるものだったと思います。
そういうところは鳥越さんにも似たようなものを感じます。ですが私は鳥越さんはあまり知りません(^_^;)  ですので迂闊なことはいえないが、筑紫さんや田原さんと比べるとちょっと・・・

田原さんも、元気ではありますがさすがになんか身体が小さくなったように感じます、というか見えてしまいます。田原さんにも好き嫌いはあるかと思いますけど、影響力の大きな人はそういうもんだと思います。年下のライバル?同志?(どう表現していいかわからない)に先立たれて気落ちする部分があるか、それはわかりませんが、まだまだがんばってほしいです。