ダイエー創業者、中内功氏が死去

 スーパー大手、ダイエーの創業者で、戦後流通業界をリードした中内●(なかうち・いさお)氏が19日午前9時30分、脳こうそくのため死去した。83歳だった。告別式は親族のみで行う。(●は功のツクリが「刀」)
 中内氏は8月26日夕、定期検査を受けていた神戸市内の病院で倒れ入院。脳こうそくと診断され、治療中だった。
 中内氏は大阪市生まれ。1957年、大阪市に「ダイエー薬局・主婦の店」を開業し、食品や衣料など幅広い品をそろえたスーパーを全国に展開、安売り路線を定着させた。「価格を決めるのはメーカーでなく、消費者であるべきだ」とする流通革命を唱え、家電メーカーなどと対立したが、72年には、売上高で三越を抜いて小売業日本一となった。
 88年にプロ野球南海ホークス(当時)を買収、92年にはリクルートに資本参加した。ホテル、遊園地、外食、パチンコなども相次いで傘下に収め、ピークの94年度には187社、売上高5兆2293億円の巨大グループを築き上げた。
 しかし、消費の多様化などに対応が遅れた結果、90年代半ば以降、ダイエーグループの業績は悪化、99年1月、経営責任を取る形で社長を退任し、2002年2月には、名誉職のファウンダー(創業者)を除き、ダイエー関連の役職をすべて退いた。
 90年、流通業界から初めて経団連(当時)副会長に就任、93年には流通業界初の勲1等瑞宝章を受章した。(読売新聞) - 9月19日23時45分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050919-00000111-yom-bus_all

きっと何十人分(いやもっとか?)の人生だったと思います。
ワンマンでいるには大きくなりすぎてしまったこと、世の中の動きを(政府の対応も含め)見誤ってしまったことで特に晩年はつらかったかと思いますが・・・「流通革命」そして阪神大震災時の「男気」はけっして忘れられることはないでしょう。