産経新聞の記事・・・けっこう刺激的

低収入・低学歴「負の連鎖」 犠牲者は子供
7月27日16時35分配信 産経新聞

 東京都足立区の一角に、低所得者向け都営住宅や老朽化した公団住宅が立ち並ぶ地域がある。ここにある区立小学校は数年前、都教委の学力テストで全科目が区内で最下位となった。区教委は地区の学力向上のためにプロジェクトを立ち上げ独自の学力検定に取り組んだが、目立った成果はない。

 この小学校の校長を10年ほど前に務め、現在は青山学院大学講師として教育実習生らを指導している宮脇和さん(63)は「この地域の成績が悪いのは、子供たちが学習意欲を失っていることが大きい。母親から『お父さんがダメだから、あなたもダメ』『あなたなんか生まれてこなければよかった』と、無意識のうちに無力感を吹き込まれている子も多い。親を見て自分の限界を知ってしまう」。

 足立区は生活保護受給世帯が約1万3900世帯に上り、東京23区のうち1区だけで1割以上を占める。区立小中学生の中で、経済的な理由で給食費や学用品代、修学旅行費などの「就学援助」を受けている子供は全体の4割に及ぶ。

 就学援助は学校教育法による制度で、自治体によって支給額は異なるが、足立区の場合は生活保護水準の1・1倍より所得が低い家庭に対し、小学生で年間平均約7万2千円、中学生で約12万3千円を支給している。

 問題は、家庭の経済力と子供の学力が結びついているかもしれないという懸念だ。都教委の学力テストで、足立区の小学校は平成18年度から3年間、東京23区で最下位が続いている。

 宮脇さんは「年収2千万〜3千万円の家庭と200万〜300万円の家庭は同じではない。学校だけでは限界もあるし、塾へ行けない家庭が多いのも現実だ」と指摘し、こう訴えた。

 「読み書き計算は、どんな事情があっても身につけさせなければならない。教育は、やり直しが利かない。犠牲者は子供なのです」

 ■受給日が「給料日」

 政治家や芸能人など、親から職業や財産、知名度を受け継ぐ「世襲」が社会に広がる一方で、親の低収入や低学歴を子供が引き継いでしまう「格差の世襲」が進んでいる。

 「富裕層」が流行語大賞の候補に選ばれた平成17年、全国の生活保護受給世帯が初めて100万世帯を超えた。その翌年、大阪・堺市健康福祉局の道中隆理事(59)が市の全受給世帯の1割に当たる390世帯を調査したところ、親の世代から生活保護を受給している家庭が98世帯にのぼり4分の1を占めていた。母子家庭106世帯に限ると40%。3世代にわたる受給世帯も珍しくなかったという。

 道中理事は「よく『貧乏でも努力すれば何とかなる』という人がいる。もちろんそういう人はたくさんいるが、家に机もないような状態で努力しろといっても厳しい。働かないことが当たり前のような家庭に育った子供に、夢や希望を持てというのは無理な相談でしょう」。

 大阪市内の区役所で生活保護を担当するケースワーカーの女性職員(51)によると、生活保護世帯の中には保護費の支給日を「給料日」と呼ぶ家庭があるという。親が子供に「きょうは給料日だから」と話し、子供もそう思い込んで育つ。ある時、それが決して親が働いて得た金ではないことを知る。

 「知った時にはすでに同世代の子供は進学塾へ通い、逆転不能にまで差が開いている。子供たちは貧困から抜け出そうとか、まして将来、親よりいい生活をしようなど思いも寄らなくなっている。社会に対する無気力な気持ちが、世代を超えて連鎖してしまっているのです」

 この職員に、彼らが20年後、親を超えられると思うか尋ねると、その問いには直接答えずにこう述べた。

 「子供たちの多くは福祉の支援で高校までは進学できる。ただ、せっかく高校へ入っても、安易な理由で中退するケースが非常に多い。それは彼らの親もまた進学しなかったり中退した経験を持つからです。『学校を辞めたい』という子供の言葉に、親が『いいんじゃない』とたやすく肯定してしまう。子供の未来はそこで閉ざされてしまう」

 ■道を選べる大人に

 冒頭の足立区にある小学校の最寄り駅。大手学習塾の看板が並ぶ駅前商店街の片隅に、1回の利用料が100円の「教室」がある。

 都内のNPO法人青少年自立援助センター」が昨年10月から始めた。主に中学3年生を対象に高校進学を目指して学習を支援する。現在学んでいる十数人の中には生活保護や就学支援を受けている家庭の生徒もいる。塾へ通っている子供はいない。

 教室を統括するNPO職員で元塾講師、小佐野景典さん(49)は「塾とはほど遠いささやかな教室だが、それまで家庭や塾での勉強時間がゼロだった子供たちが週2回、1回1時間半でも机に向かうようになった」。今春の「卒業生」13人は全員、高校や、通信制高校のサポート校へ進んだという。

 小佐野さんに生徒たちの「2030年」を尋ねると、机に向かう彼らの背中を見つめ、こう語った。

 「働かない親を見て育つがゆえに、その子供も勉強せず、働かなくなってしまうという負の連鎖を断ち切りたい。卒業した子供たちは今、高校での夢を語り始めている。20年後、自分で自分の道を選べるような大人になっていてほしい」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090727-00000548-san-soci

民主党子ども手当」にいろんな意見がある。配偶者控除あるいは扶養控除をいじることでいいじゃないの、と私は相変わらず思うが、基本的に配偶者控除は要らないと思うから、「子ども手当」はまあ別に反対ではない。

ただ、すごい失礼なもの言いになるが、貧乏人の子沢山を助長しないためにも、子ども手当は「2人目」と「3人目」だけに支給、でどうかと思ったりする(もちろん子ども自体に払うわけではなく世帯に払うのは言うまでもない)。

大雑把だが、平均的と思われるレベルの覚悟と責任を持って親になる人たちは、経済的なことを理由に悩むのは2人目や3人目ではないのか?それはサポートする。
それ以上は平均的な収入あるいはそれ以下だったら現実にはちょっと厳しいだろう。なぜ厳しいか。それは生まれてくる子どもの幸せを願うから、である。そういうことすら考えることのできない親がいる。

生まれてくる子どもの幸せのことまで思いをめぐらせることのできない親は、傍から見れば「ひどい親」なのだが、おそらく自分もそういう境遇で育ったから、彼らにとっては当たり前のことなのかもしれない、気の毒なことだが。つまりそれが「連鎖」だ。

こういう親に、制度を弄ることによってもっと自覚を促す。ここまでは国としてサポートする、だがここまでだ、をいうのを認識させる。そして、手当は渡すが、たとえば給食費を払わなければ、教師もつらいだろうが、毅然として「食わさない」。給食費を払わない親って、「やれるもんならやってみろ」とか思ってる可能性がある。

いくら少子化対策を講じる必要がある(→本当に「少子化」が言われているほど問題なのか?というのも実は疑問だが)とはいえ、上の記事にあるような輩が、手当やより手厚い保護をいいことに無責任に子どもをつくるのは、生まれてくる子どもに気の毒。社会に気の毒。子どもをつくることはまあ勝手だが責任は取らないと。

 
※ただ、それでも母子家庭には一定の保護は間違いなく必要だ。たとえそれが自己責任と括られるような理由によるものであったとしても。