佐々木七恵さん

瀬古さん「残念」としんみり=女子マラソンの永田七恵さん死去
6月29日17時17分配信 時事通信
 1984年ロサンゼルス五輪女子マラソン代表で、日本の女子マラソン界の礎を築いた永田七恵(ながた・ななえ、旧姓佐々木)さんの葬儀が29日、東京都内で親族らによる密葬で行われた。永田さんは27日に死去、53歳だった。
 葬儀にはエスビー食品で同僚だった瀬古利彦さん(52)も出席。「無理やり出させてもらった。まだ若いのに…残念」と肩を落とした。七恵さんがマラソンをするため高校教員を辞めて同社に入社した時、「26歳で安定した仕事を捨てて来たこと自体に驚いた。覚悟が伝わった」と振り返る。中村清監督(故人)の指導下、猛練習に耐えていた姿を思い出しながら「しょっちゅう泣いていたが、僕らもいろいろ勉強になった」と、しんみり話した。
 ともにロサンゼルス五輪女子マラソンに出場した増田明美さん(45)は「突然の訃報(ふほう)に接し、まだ信じられない」とのコメントを発表。ロス五輪で途中棄権に終わった増田さんには「レース中に七恵さんに抜かれたことが一番悔しかった」。昨年11月、その思いを久しぶりに再会した七恵さんに打ち明けると、「『これからも仲良くしましょう。わたしたち戦友だもんね』と言ってくださった」と増田さん。「思い出話に花を咲かせる機会が増えるだろうと楽しみにしていただけに、大変悲しい気持ち」とショックを隠せなかった。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090629-00000098-jij-spo

この人が女子長距離に果たした役割は大きいと思います。
増田明美さんとともに、なんというか、女子長距離の市民ランナー→アスリート化のさきがけのような。それまで女子マラソンは、市民ランナーみたいな人がトップクラスで、この人も(実際はそうではないけど)その中の一人に見えました、地面這うようにちょこまか足を動かすような。その一方で、トラック長距離はせいぜい3000Mくらいしか種目がなくて。
ですが、ヱスビーの中村軍団に加わって瀬古さんのような生活を送ったらアスリートの走りになって、増田明美さんと切磋琢磨してトラックとマラソンの溝が埋まっていくような(でも女瀬古と言われたのは増田さんでした)。
記憶があいまいなのでかなり適当ですが、そんな印象です。
もう二十何年前の話です。立派な人だったと記憶しています。
ご冥福をお祈りいたします。