戸塚洋二さん死去:ノーベル賞目前に…恩師の小柴さん悲痛


加速器の写真パネルの前でポーズをとる戸塚洋二さん=茨城県つくば市高エネルギー加速器研究機構で2005年8月、岩下幸一郎撮影 ノーベル賞目前と言われながら病に倒れた10日死去した戸塚洋二・東京大特別栄誉教授(66)は、最後まで研究への情熱を語り続けた。7年前に大腸がんを発症、週1回の抗がん剤投与を受けながらセンター長を務める日本学術振興会学術システム研究センター(東京都千代田区)に通っていた。

 戸塚さんが体に異変を感じたのは00年10月。同11月中旬に最初の手術を受けた。翌年11月、素粒子の観測装置「スーパーカミオカンデ」(岐阜県飛騨市)で、大規模な破損事故が発生した。体調が悪化する中、事故原因の究明や観測再開に向けて精力的に指揮を執った。

 再発と左肺への転移に続き、右肺にも腫瘍(しゅよう)が見付かり、3年間務めた高エネルギー加速器研究機構長を退職。抗がん剤による本格的な化学療法を開始していた。やむなく一線は退いたが、ニュートリノ研究への情熱は最後まで衰えなかった。

 謎の素粒子ニュートリノ」に質量があるとの研究成果は、クリントン米大統領(当時)が「根源的な理論を変える」とたたえた。また、宇宙に広く分布する暗黒物質の正体を考える上でも注目を集めた。

 小さいときは、成績は悪く、人付き合いも苦手だったため、企業で働く自分が想像できなかった。それが研究者の道を選んだ理由だった。恩師の小柴昌俊・東京大特別栄誉教授(81)は愛弟子の悲報に、非常にショックを受けた様子で、「取材は受けたくない」と言っているという。また、戸塚さんが元気だったころ、「戸塚君は大学院入試の筆記試験は合格点に達しなかった。しかし、面接で新しいことをやろうという意欲が見えたので私が引き上げた。研究者に必要なのは既存の知識ではなく意欲だ」と振り返っていた。

 ◇研究姿勢厳しく
 戸塚さんが施設長を務めた東京大宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設(岐阜県飛騨市)の鈴木洋一郎施設長は「突然で頭の整理ができない。スーパーカミオカンデの成果は、戸塚さんの強いリーダーシップがあってこそ生まれた。研究への姿勢は非常に厳しくいいかげんな実験解析など絶対に許さない人。いい意味で怖い先輩だった」と肩を落とした。
http://mainichi.jp/select/science/news/20080710k0000e040068000c.html

この種のことに無知で、このかたについて知りませんでした。ノーベル賞候補であったとのこと。ノーベル賞候補というと、カーボンナノチューブの飯島さん?名前くらいは聞いたことありましたが・・・青色ダイオードの中村さんもいますね。こちらは他の理由で有名というか。

そもそもスーパーカミオカンデとかニュートリノとかいうのがよくわかりません(^_^;)

検索していたらこんなのを発見しました。
http://www.thomsonscientific.jp/news/press/nobel2007/
なくなられたかたにノーベル賞というのがありなのかなしなのかわかりませんが、残念なことです。(→どうも生きてないと無理のようです)

http://www.kenbunden.net/totsuka/hatachi01.html
こんなのもみつけました。
月並みですが、好きこそ物の上手なれなんですかね。
私なんかはいまの自分の仕事が好きか?と言うと、好きではないです。いろんな流れでこうなってしまった。
まあそれは置いといて(笑)、日本というとつい研究開発よりも生産技術、というイメージを持ってしまいますが、実はすごい研究者がいっぱいいて、すごい国みたいです。
ひょっとするとそういうすごい研究者たちを生かしきれていない国なのかもしれません。よく知らないので適当に書いてますが。