(プロレス)ゴッチとカマタ・・・安らかに。

<ゴッチ氏死去>プロレス・ブームの“精神的支柱”
7月30日14時1分配信 毎日新聞
 日本では「プロレスの神様」の異名を取ったカール・ゴッチ氏が亡くなった。背後から相手の腰に腕を回して後ろに投げ、ブリッジの体勢でフォールする技で、芸術品とうたわれたジャーマン・スープレックス・ホールドが代名詞だが、それよりも力道山亡き後に、アントニオ猪木前田日明ら次代のスター選手のコーチ役を務めた評価が大きい。
 70年代後半から始まった日本の新たなプロレス・ブームの“精神的支柱”の役割を担った。愛弟子とされる猪木は72年に新日本プロレスを旗揚げ。ゴッチ氏の指導を「ストロング・スタイル」と評し、それまでのショーマン・スタイルと一線を画した。
 だが、後に生じたトラブルから84年、前田、藤原喜明高田伸彦(現延彦)らゴッチ氏の直弟子らが、さらなるプロレスの理想郷を求めてUWFという新団体に移籍した。当初は頓挫したが、これが今の格闘技ブームの礎となった。
 ヨーロッパから転戦した現役時代の米国では、実力とは別に華やかさがなく人気がなかったゴッチ氏。だが60年代の日本遠征を機に、当時指導した猪木を通じ、日本のプロレス界、ひいては後の若者たちのサブカルチャーに影響を与えたと言っても過言ではない。
 米国フロリダ州タンパで、ひっそり暮らしていたゴッチ氏は、日本でのかつての愛弟子たちが訪ねて来るのを、何よりも楽しみにしていたという。【堤浩一郎】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070730-00000068-mai-spo

流血大王キラー・トーア・カマタさん死去

7月28日9時34分配信 日刊スポーツ
 全日本などで活躍したキラー・トーア・カマタさんが23日に心臓発作で、カナダ・サスカチュワン州サスカトゥーンでなくなっていたことが27日、分かった。70歳だった。カナダのカルガリー地区で活躍し、1975年(昭和50)5月に国際プロレスに初来日。初戦でラッシャー木村のIWA世界王座に金網デスマッチで挑戦するなど、木村のライバルとして活躍した。78年5月には全日本に参戦。同6月1日にジャイアント馬場(故人)からPWFヘビー級王座を奪い、ファンを驚かせた。その後も「流血大王」の異名を取ったラフファイトで、ジャンボ鶴田(故人)、アブドーラ・ザ・ブッチャーザ・デストロイヤーらと死闘を繰り広げ、悪役外国人選手として恐れられた。
最終更新:7月28日9時34分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070728-00000033-nks-fight

まあ、ほとんどのプロレスファンは「同列かよ!」というと思うけど同列です(^_^;)
対照的な二人ですが、どちらもプロレスファンにはなじみの深い名前です。
カマタはブッチャーと同世代なんですね。少しカマタのほうが年下だと思ってました。
ゴッチの長生きはなんとなくわかりますが、カマタのような人は・・・あんなに太って(晩年は知らないけど)おそらく現役時代もあまり練習しなかったと思うのですが・・・
ブッチャーが元気?なのも含めちょっと驚きです。
しかし、自分が見ていたレスラーがどんどんこの世を去って生きます。悲しい話ですが、自分もトシとってきてるわけだし、仕方ないですね。
「Requiescat In Pace」
 
※小学生の頃でしょうか、「凄い!」と思ったレスラーたち
【この世】
ジン・キニスキー1925生まれ
バーン・ガニア1923生まれ
ドン・レオ・ジョナサン1932生まれ
ブルーノ・サンマルチノ1935生まれ

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【あの世】
ジャイアント馬場1938生まれ
フリッツ・フォン・エリック1929生まれ
フレッド・ブラッシー1918生まれ
ディック・ザ・ブルーザー1929生まれ