教訓継承の誓い、新たに 阪神大震災から11年

 6434人が犠牲となった阪神大震災は17日、1995年の発生から11年を迎え、神戸市など各被災地では地震発生時刻の午前5時46分に合わせ、犠牲者の冥福を祈る追悼行事が行われた。耐震強度偽装問題が浮上する中、遺族や市民らは「体験を風化させない」と記憶と教訓の継承をあらためて誓った。
 神戸市中央区の東遊園地では市民団体などが「1・17のつどい」を開き約4000人が参加。震災がきっかけで病死するなどした「遠因犠牲者」161人を含む計6595人分の竹灯籠(とうろう)を「1・17」の文字に並べてろうそくに点灯し、地震発生時刻に黙とうをささげた。(共同通信) - 1月17日9時55分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060117-00000033-kyodo-soci

このころ、私は関西にいました。私のところはほとんど被害がなかったのですが、それでも地震の多い関東育ちの私が経験した中でもっとも大きな揺れでした(実は震度4?でも、もっと揺れた気がします)。
怖かったけど実際揺れているあいだはどうしようもなくて、揺れがおさまった後、当時尼崎に住んでいた人に電話しました。その電話で相当ひどい地震のようだと知り、テレビをつけたところ、震源は京都だか滋賀のほうらしいと最初は言われてたような気がします。で、「あ、神戸のほうの情報が入ってきてません・・・どうも神戸は震度6のようです」みたいな感じだったでしょうか、もう11年も前で忘れつつありますが。
その後、電車も動かず、西宮市とか芦屋市とか神戸市とかはひどかったですね。家は壊れてビルまでちぎれるように倒れて。取材も含め、これを見に来る人たちも増えて、そのうちに住民たちの「がんばってるから見に来ないでくれ!」なんていう張り紙がされていたり。
あのあたりは山側は阪急電車が走っていて、南に行くとJR、さらに南、海に近いところを阪神電車が走っていますが、阪急沿線にはどちらかというとお金持ちが住んでいて、南に行くにつれてそうでもなくなっていきます。で、海側のほうが被害が大きかったように思います。これは実際の地震の強さによるのか家の立派さの違いによるのか、私は調べてないのでよくわかりませんけど。
そして、あのあたりは神戸大・関学大・甲南大など大きな大学もいっぱいあるのですが、親に負担かけたくないと安アパートに住んでいた学生たちがかなり命を失い、ボンボンでいいマンションに住んでいた学生は助かりました(表現が極端ですが)。苦学生で新聞配達なんかしていた人はもちろんアウトです。悲しいですがこんな現実も目の当たりにしました。
ちなみに私はこの日、たしかビリージョエルのコンサートを見に行く予定だったと思いますが、もちろんそれどころではなかったですね・・・
それと、晩年はつらいことばかりでこの世を去ったダイエー中内さん、このときは(商売も意識してのことにせよ)先頭に立って奮闘されたんでしたよね。それは少なくとも神戸の人は忘れないでしょう。ダイエーに関してはこの地震が追い討ちをかけてしまったとも言えなくないのでしょうけど。
中内功 ウィキペディア