<女子マラソン>高橋尚子が初優勝、復活果たす 東京国際

 2005年11月20日(日) 14時46分 毎日新聞
 東京国際女子マラソンが20日、東京・国立競技場を発着点に行われ、2年ぶりのマラソンとなった00年シドニー五輪金メダリストの高橋尚子(33)=ファイテン=が2時間24分39秒で初優勝を果たした。高橋は「3年後の大きな大会(08年北京五輪)に向けて頑張っていく」と笑顔で復活を宣言した。
 先頭集団につけた高橋は35キロ過ぎに一気にスパート。アテネ五輪4位のエルフィネッシュ・アレム(30)=エチオピア=らを引き離し、勝負を決めた。
 アテネ五輪代表選考会を兼ねた03年の今大会では、35キロから始まる上り坂でまさかの失速。アレムにかわされ2位となり、五輪代表の座を逃した。昨年9月末に右くるぶし付近を骨折し、復帰が遅れていた高橋は「あの坂に負けたくないという気持ちは持っていた。自分自身の思い出との戦いだった」と話した。
 タイムは99年の山口衛里(天満屋)の2時間22分12秒、00年のジョイス・チェプチュンバケニア)の2時間24分02秒に次ぐ大会歴代3位の記録だった。2位はジビレ・バルシュナイテ(リトアニア)、3位は03年大会覇者のエルフィネッシュ・アレム(エチオピア)。高橋以外の日本勢は松岡理恵(天満屋)の7位(2時間32分14秒)が最高だった。(スタート時の気象条件=晴れ、気温10.5度、湿度50%、南南東の風1.5メートル)
 ◇2年間で人生の喜び知った高橋
 東京国際女子マラソンで、高橋尚子選手(33)=ファイテン=が会心の優勝を果たした。2年前の敗戦以来のブランク、そして右脚の肉離れを抱えながらのレース。しかし、果敢に挑み、快走を演じた。みごとな復活を、周囲で見守った人々もともに喜んだ。【石井朗生】
 フィニッシュでは両手を大きく広げ、満面の笑みだった。「ここに帰ってきて良かった。2年前で止まっていた時間が進みそう」。大会では過去最多の2万人が埋めた観客席へ、目をうるませながら何度も手を振った。 2年前の「東京国際」での敗戦でアテネ五輪代表の座を逃し、五輪2連覇の夢が断たれた。失意で、一時は引退も考えたという。しかし「失敗したまま終わりたくない」と、再起を決意。今春にはより厳しい環境に身を置こうと、小出義雄・佐倉AC代表から自立した。以後は過去の練習日誌を参考にして試行錯誤しながら、専属の練習パートナーやトレーナーらを集めた「チームQ」とともに米国合宿を進めた。帰国翌日の今月11日に肉離れして4日間練習ができなかったが、「東京で走らなければ何も始まらない」と強行出場。レース中も痛む右脚には「お願いだから最後まで(無事で)持ってね」と語りかけていたという。
 他の選手を引率していた小出代表は、レース前には「おれだったら出場を止めたかな」。優勝を見届けると「でも大したもんだな。本当に良く走った」と心から祝福の言葉を送った。沿道から見守った父良明さん(64)も「こんなにうまくいくとは。皆さんに支えていただいたおかげ」と感激の面持ちで語った。
 高橋選手はこの優勝を、「オセロゲームで黒を全部、白に変えられたかのよう」と表現した。引退すら考えたつらかった時間はもう過去のこと。「暗やみに入っても夢を持つことで、一日一日が充実する。皆さんにもそのことを感じてほしい」。この2年間で走る喜びだけでなく、人生の喜びを知ったという高橋選手の言葉に、観客からはひときわ大きな拍手がわいた。 [ 11月20日 20時37分 更新 ]
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20051120&a=20051120-00000012-mai-spo

正直ここまでの結果は出せないと思っていました。筋膜炎と言ってましたし。自分の感覚では、筋膜炎では絶対いい記録なんかでません、痛いんですよ。ただ、一流選手はテーピングをガッチリしてそれでも走ってしまうことがよくあります。これは一流選手ならではのモチベーションの高さ?と一流のトレーナーなどがついている、などの理由はあると思いますが、末端のド三流の私には信じられませんでした。
ラソンだから瞬間的に大きな筋力を使うわけではないと思いますが・・・それでもすごい精神力だと思います。
先日もうだめだろうみたいな散々な書き方しておいて、今度はこのようにほめて書くのは恥ずかしいのですが、すごいものはすごい!自分の見方がまるで違ってたということです。オリンピックで金メダル取る人は人種が違うのでしょう。
ただ、そうは言っても今の野口や福士に勝てる気はしませんが。
あと、高橋はきっと人格的にも立派な人だとは思いますが、あまりにコメントが立派すぎ。もっと本音を出しても、というか(ヘンな言い方ですが)もっと下品なコメントでもいいと思うのですが・・・