<ボクシング>ジム初の世界王者 宮田会長自ら試合費用集め

7月19日9時58分配信 毎日新聞
 18日の世界ボクシング評議会(WBC)フライ級タイトルマッチで、内藤大助ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)に判定勝ちし、新王者になった。所属する宮田ジム(東京都葛飾区)は世界戦を前に「試合費用約4000万円のめどが立たない」とスポンサーを公募、宮田博行会長(40)が自ら営業に奔走した。「悲運の天才」とも呼ばれた元ボクサーが育てたジム初の世界王者誕生に、試合後は内藤だけでなく宮田会長にも祝福の声が集まった。
 資金不足がわかったのは5月末。宮田会長は約100社に手紙を出し、約40社に足を運んで支援を求めた。最終的に大口では3社の支援を受け、ファンらの募金もあって「我慢できる程度の赤字幅になった」と宮田会長は明かす。
 会長を駆り立てたのは自らの現役時代の、無念の思いだ。東京都墨田区出身で地元のジムから17歳でプロデビューし、85年2月には初の現役高校生の全日本新人王(現在のライトフライ級)に。その後もA級トーナメントで優勝し、日本王座の挑戦権も獲得した。だが「うちと同じような弱小ジムで、タイトル戦はやってくれなかった」。19歳の時に左目の網膜はく離が判明し、そのまま13勝1敗の成績で引退した。
 「自分と同じ思いはさせたくない。チャンスがあれば何とかしてやりたい」との一念でこぎつけた世界戦。21歳でジムを創設して以来初の世界王者誕生で、しかも17連続防衛中の前王者ポンサクレックを破る波乱を起こしての快挙に「ボクシングを明日にでもやめてもいい」と興奮気味に話した。一方で、観客席には「ありがとうございました」と、何度も頭を下げて回ることも忘れていなかった。【飯山太郎】
最終更新:7月19日9時58分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070719-00000018-mai-spo

あえてこの記事を選びました。
昨日の試合、ポンサクレックの調子が悪かったのはきっと確かなんでしょう。でも、やっぱり怖かったです。たまに喰らうとそのたびに不安になってました。
それに・・・ポンサク本人も負けを認めているし、判定はユナニマス、しかも、4R8R後、途中に開示されたときもしっかりリードしてましたから。
ポンサクの出血は、私もバッティングかなぁと思います。しかし、前回は内藤が同様であったし、内藤もそれに関して特に言い訳はしなかった。今回のポンサクも言い訳をしなかった。
勝敗に文句のつけようもありません。
内藤、お前は男だ!
ポンサクレック、お前も男だ!
好青年同士の戦いはすがすがしい!
パンフに、協賛者として自分の名前も(^_^;)
 
ああ幸せ!あの場に自分がいることができたことも!
Romanticが止まらない
 
・・・実は昨日は、内藤選手の引退試合だと思って見に行きました。すみません。
 
※余談ですが・・・宮田ジムって京成立石駅の近く、長崎屋のとなりにあるんですが、16日にそのあたりを通りかかったところ、「16-18、世界戦のためジム休み」の張り紙がありました。近くに自民党参議院候補者の事務所があるのですが、この候補者がなんとカメダの応援してるみたいで・・・orz
目と鼻の先に、「本物」がちゃんといるのにね。
 
もうひとつ面白い記事があったので・・・

亀田も倒す!内藤、番狂わせ世界王者…WBC世界フライ級王座戦
 ◆プロボクシング WBC世界フライ級タイトルマッチ ○内藤大助(判定3―0)ポンサクレック・ウォンジョンカム●(18日、東京・後楽園ホール) 見たか、亀田! "アンチ亀田ボクサー"の内藤大助(32)=宮田=が、10年以上無敗の無敵王者ポンサクレック・ウォンジョンカム(29)=タイ=を3―0の判定で破る快挙を達成。自身を含む7人の日本人選手が8連敗中の王者のV18を阻止し、3度目挑戦でリベンジに成功。ポンサクレックの勝利を前提に世界戦を計画していた亀田興毅(20)=協栄=の思惑を打ち破った。国内史上2位の32歳10か月での高齢記録で“負け犬人生”に終止符を打った内藤陣営は、打倒・亀田を掲げた。内藤の戦績は31勝(20KO)2敗2分け。

 涙はジワジワとあふれ出た。夢にまで見た緑色のベルトが腰に巻かれる。長男の亮くん(1つ)を抱くと、腫れ上がった内藤の両目は一気に潤んだ。「夢じゃないかと思ってる」3度目の対戦でのリベンジ。初戦の02年4月はタイでフライ級の世界戦史上最短の34秒KOで負け、インターネットの2ちゃんねるに「日本の恥、内藤と書かれた」。2度目は05年10月に日本で7回負傷判定負け。今回も絶対不利の下馬評だったが、96年10月から続く王者の連勝記録を「56」で止め、日本人として初めて土をつける大番狂わせを演じた。

 引退覚悟の一番は、プロ11年の技術を駆使した。変則的な動きで王者にペースを握らせない。頭から低く入り、左ストレート、右フックの空振りを誘い、左右のアッパー攻撃を阻止。「やってきたことが間違いじゃないことを見せたかった」速い出入りとサイドに素早く動いて左右のフックを当て何度か王者をグラつかせ、3回には有効打で王者が左目上を切り、焦らせた。4回、8回の公開採点でも内藤が上回った。9回の猛反撃のピンチも気迫と勝利への執念で乗り切った。

 同じ階級の「亀田兄弟」とは対照的。人気もない上、お金もない。“打倒・亀田”に名乗りを上げても無視された。試合前はテレビ局もスポンサーもつかず、公募する異常事態。周囲は内藤無視で王者の勝利を前提としたポンサクレック―亀田などの話題が先行した。「正直、このヤローって思った。でも、これで立場は逆転。今後が楽しみ」元イジメられっ子のボクサーとして名をとどろかせ、日本王者になったときには、新聞を持って応援にきた地元の友人に「いじめたヤツってだれ?」と聞かれ「おまえだ」と見返したことがあった。いまは、まさにその心境だろう。

 初防衛戦は、王者側の条件として120日以内にポンサクレックと同門の同級1位ポノムルンレック(タイ)とタイでの試合のほか、もう1試合が内定。内藤陣営は「オプション(条件)を金銭で買い取る解決策もあるかもしれないが、アンチ亀田の手を挙げたからには、亀田戦もやりたい」と説明した。

 苦難を乗り越え、大輪の花を咲かせた内藤。次は栄光の防衛戦だ。だれも見向きもしなかった存在から一気に中心人物へ。「奇跡の人」内藤が、ボクシング史に残る大勝利を収めた。

 ◆内藤 大助(ないとう・だいすけ)1974年8月30日、北海道虻田郡豊浦町生まれ。32歳。96年プロデビュー。98年全日本フライ級新人王。世界挑戦は02年4月に敵地タイで1回34秒KO負け。2度目は05年10月の後楽園ホールで、7回負傷判定負け。主なタイトルは日本フライ級王座、東洋太平洋フライ級王座。身長163センチの右ファイター。

http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20070719-OHT1T00067.htm