オツオリさん事故死…箱根駅伝初の外国人留学生

 箱根駅伝初の外国人留学生ランナーとして、1992年の山梨学大初優勝に貢献したジョセフ・オツオリさんが30日、故郷ケニアで交通事故死したことが31日、分かった。37歳だった。オツオリさんは2004年から新潟・重川材木店陸上競技部に籍を置きコーチ兼選手として活躍。今年は現役生活の集大成と位置づけ、母国でけがの治療、練習を積んでいた矢先の事故だった。突然の悲報に母校や所属先の関係者は深い悲しみに包まれた。
 オツオリさんが事故死したのは30日午後7時ごろ。故郷・キシイから600キロ離れたナイロビに向かう途中のケリチョ町で自家用車を運転中に大型バスと正面衝突。ハンドルに強く胸を打ち、搬送先の病院で死亡が確認された。助手席にいた親類は軽症だったという。
 オツオリさんは1987年に初来日し、山梨学大に進学。89年から4年連続して箱根駅伝2区を走り、92年の4年時には同大初優勝に貢献した外国人留学生の草分け的存在だ。その後はトヨタ自動車に就職し、一時帰国したものの茨城県内で再就職。2004年10月からは重川木材店陸上部の選手兼コーチとして活躍。今年1月の全日本実業団駅伝初出場を果たした。
 31日未明に悲報を受けた重川材木店陸上部総監督の重川隆廣社長(55)は「突然の事でびっくりしています。集大成のレースに向け9月5日に来日するのだったんですが…」と言葉を失った。10月1日には、2年前の中越地震で被害を受けた新潟・山古志村の道路開通を記念して行われる「フェニックスマラソン」に招待され、現役引退レースに臨む予定だった。有終レースに備え故郷で練習を重ね、近況を現地からファクスした矢先の悲劇となった。
 育ての親の山梨学大陸上部の秋山勉顧問は「交通事情も良くないし、気を付けろといつも言っていたんだが」と現実を受け入れられない。突然の悲報にケニアからの留学生たちは近日中に故郷に戻る予定でいる。重川材木店では、現地での葬儀に参列するか、国内でお別れ会を行うかを検討している。
(スポーツ報知) - 9月1日8時0分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060901-00000016-sph-spo

ショッキングなニュースです。オツオリさんといえば、箱根を走った黒人選手のはしりだったように思います。もっと年上でダグラスワキウリさんがいますけど、この人は箱根は走ってませんので。
交通事故で正面衝突…16年前?のヱスビー食品金井さん・谷口さんの事故をふと思い出してしまいました。
オツオリさんも選手として、また一線を退いてから波乱万丈であったようですけど、残念です。
ご冥福をお祈りします。